性病の起源は歴史に数多く記されています。ギリシャ・ローマ時代から世界各国で発症していた性感染症の事例を紹介します。

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性病の起源

性病の起源 性感染症がいつ、何処で生まれ、どのように伝染していったのかは定かではありません。
ウィルスは、人類が誕生する以前から存在していたので特定は困難でしょう。
それでも性病が生まれたのはいつ頃なのか?という疑問もあると思います。
性病の存在は、古代より知られていて、実は聖書にも登場します。

旧約聖書に記される性病

旧約聖書レビ記15章に、現代における「淋病」と思わしき症状について記述されている文章があります。
この記述のテーマは「贖罪」です。

どの男も、隠し所に漏出がある場合、その漏出物は汚れている(レビ記15章2節より)

イエスキリストは、弟子たちを介し、イスラエルの民たちに徹底的に「漏出物」によって汚れることがないように忠告をしています。
この「漏出物」とは、男性の体液。 その前に「隠し所に漏出がある場合」とされていますので、性器から出てくる液と解釈されています。
16章に別途、男性の精液についての記述があるので、それとは区別して考えられています。

石造 新共同訳聖書に書かれた訳を見ると、尿道から膿が出ている場合と膿が溜まっている場合の汚れとしており、その症状が淋病に似ていることから、その時代から淋病が存在したのではないかといわれています。

男性が性病にかかった時には、他の人への影響を考慮しなさいという教えです。
この汚れ(性病)は伝染しますよ、という例が綴られています。

  • その病人が寝たところに触れれば汚れます。
  • 寝たところだけでなく、座ったところも汚れます。
  • 衣服を洗って水浴びをしなければなりません。
  • つばをかけたときもかけられた人にその汚れがうつります。
  • その病人がのったロバはその鞍を変えなければダメです。さもない汚れます。ロバの鞍だけではありません。他の物でも触れていなくても、その病人の下にあった物に触るだけで汚れてしまうようなものです。
  • 病人の下にあった物は触ると汚れます。それらを運ぶ人たちも汚れます。
  • 病人が水で手を洗わずに誰かに触れるだけでもその人は汚れます。(性器だけでなく)手に触れた場合も汚れます。
  • (性病を患っている者が)触った器は、土なら壊して木なら水で洗わなければなりません。

このような感じで、徹底的に語っています。
イエスキリストが性病について語っているのは、汚れたものが他人にどのような影響を与えるかという比喩です。
性病についての解説が本質ではありません。
その本質に興味のある方は、旧約聖書をご一読ください。

古代の性病

古代ギリシャ・ローマ時代の性生活は、神聖なものであり豊かのことの象徴でもありました。
現代であれば、乱交とよばれる行為も当たり前のように行なわれていたといいます。
世界的に有名な美術館に所蔵されている当時の様子を描かれた作品にも、ひとりの娼婦を複数の男たちが犯したり、何組もの男女が裸で乱れ狂う様子があったり。
同性愛や神様との交わりも・・・!
なかなかにディープな性世界が広がっています。
古代ギリシャ・ローマ時代 乱交、不倫、同性愛、なんでもありのそんな時代にもやはり、性病がはびこり、格好の温床と化しておりました。
当時の文筆家に医学的観察を記した人がいます。
その著者はコルネリウス・ケルスス。
彼は著書のなかで、陰部にできるイボや腫瘍の疾患について取り上げており、その原因は精液の漏れによるものだとしています。
現代でいうところの尖圭コンジローマです。そんな古代から、陰部や肛門のあたりにできたイボや腫瘍に悩まされていた人がいたのですね。

尖圭コンジローマのほかにも淋病などが蔓延しており、当時の風紀は現代人の目から見るとたいへんに乱れたものでした。
しかし、あくまで神聖な儀式であり、繁栄祈願の乱交であったようです。
考えようによっては、自由で生産性の高い時代だったのかもしれません。

梅毒の起源

梅毒とコロンブス

「梅毒」が初めてヨーロッパに持ち込まれたのは、クリストファー・コロンブスの1493年の航海、いわゆるアメリカ大陸発見の探検隊員が原因とされています。

諸説ありますが、西インド諸島の現地人との性行為によって感染したというのが、もっとも有力な説と言われています。
コロンブスではなく、後に航海した探検家たちが持ち帰ったのかもしれませんし、そもそもヨーロッパにも存在していたかもしれません。
梅毒は潜伏期間が長いのです。) 航海 いずれが原因にせよ、近世ヨーロッパで猛威を振るった性病は梅毒でした。
ではなぜそれほどまでに、梅毒がその時代、猛威を振るっていたのでしょうか。

それは、戦争や大航海時代により、多くの人々が今までの住まいから他の地域に移動することが活発となった時代だからです。

航海士や船員たちが、長い航海のストレス解消に港で地元の娼婦たちと交流するなどといったことは、容易に想像のできることです。
兵士たちが、戦争での憂さ晴らしに占領下の女性たちに無理強いをすることも、その罪過は別として、なかったことではありません。

それらの人々は、よからぬウィルスを持ち帰り、また各地へ赴きなどの移動をすることで、広範囲な地域で性病が蔓延したと考えられています。

梅毒と西太后

中国三大悪女の一人として名を連ねる西太后〔1835~1908〕。
清王朝九代皇帝である咸豊帝(かんぽうてい)の妃ですが、数々の恐ろしげな逸話がまことしやかに残る人物でもあります。
航海 息子である十代皇帝・同治帝(どうちてい)は幼くして王位継承したのですが、19歳という若さで崩御しています。
死因は感染症でした。
天然痘ウィルスにおかされ、疱瘡を患ったという説と、お忍びで通った遊郭で梅毒に感染したとも言われています。
また同治帝には5人の后がいたのですが、いずれとも子はおらず。
同治帝亡き後は、西太后の甥である光緒帝(こうしょてい)が王位継承し、幼かった息子の代に続き、彼女が摂政政治を行なっていました。
死期が近づいた西太后が、光緒帝を自分より長生きさせないために彼を毒殺し、自身の死の直前、後にラストエンペラーとして名を残す溥儀(ふぎ)を次の皇帝として指名して亡くなりました。ほんの少し掻い摘まんでお話しても、恐ろしいことがボロボロ出てくる女性です。

そんな逸話もあり、西太后を主人公とした映画やドラマ、書物などには、必ずと言っていいほど、同治帝が売春宿通いで梅毒に冒され、崩御するクダリが描かれています。

ドラマとしてもかなりセンセーショナルな話題ですよね。
天然痘であれ、梅毒であれ、死に至るほどの疱瘡を患っていました。
感染症であったことは間違いないようですが、いずれの病であったかは、学者たちの間でも意見が分かれて、未だ真相は不明なのだそうです。

梅毒が日本に持ち込まれたのは?

日本においては、永正9年(1512年)、日本初の梅毒罹患者が出現し、梅毒が大流行したという記録があります。特に沖縄で激烈な流行であったようです。
これは、ポルトガルの航海者バスコ・ダ・ガマが、インドや中国などの東方探検の折、日本に立ち寄った際に持ち込まれたという説が有力とされています。

図書館 永正は室町幕府の時代、つまりは戦国時代にあたります。
梅毒は、そんなに古い時代から日本にも存在していた性病なのです。

江戸時代には、遊郭でも梅毒が流行しており、客である江戸庶民にも感染。
(江戸庶民の梅毒感染率は、50%にのぼったと推測されています。)
著名人では、加藤清正、前田利家、浅野幸長らが梅毒で亡くなったとされている文献もあります。

当時の梅毒は、唐瘡(とうそう)、揚梅瘡などと呼ばれ、湿気などによる炎症などと考えられていましたが、古くから経験的に性感染症であることは知られており、徳川家康は遊女との交流を自戒していたそうです。

江戸時代までは、有効な治療法がなかったため、梅毒は不治の病として脅威とされていました。
対策法としては「五宝丹」とよばれる血液浄化の煎じ薬はあったようですが、3期以降まで病状が悪化する人も多く、酷いありさまだったようです。

江戸時代の性病事情

江戸時代にはすでに今と変わらない種類の性感染症が存在していたそうです。

江戸時代の蘭学医・杉田玄白は、

毎年千人あまりの療治するうちに七、八百は梅毒家なり(刑影夜話より)

と嘆き、幕末の医師・松本良順の書いた健康書にも

下賎もの100人中95人は梅毒にかからざるものなり(養生法より)

などという記述があります。

夜鷹 政府公認の「遊郭」という制度は有名ですが、その他にも非公認で春を売る商売は、この時代にもたくさんありました。
不特定多数の男性と性的関係をもつ遊女にとって、性感染症はもっともかかりやすい病です。

その中でももっとも恐れられていたのが梅毒。
発症すると、長く患う不治の病でした。

梅毒を経験した遊女は、人間らしさが消え去り、妊娠することもなく、心もなくし、病み上がりで痩せてしまいます。
その痩せこけた青白い肌や「天女に生まれ変わったようだ」と神秘的に美化されてしまうことも。

「世事見聞録」という当時の社会批判論文のような書物には、「梅毒は一人前の遊女になるための試練だ」などという記述まであるのだとか。
実際に取り引きにおいても、梅毒経験者は厚遇されたようで、遊女だけでなく、芸者なども梅毒を経験するまでは一人前扱いされず、給金が安かったそうです。

梅毒は発症すると、潜伏期もあり、また突然症状が出て、突然半年くらい働けなくなってしまうことがあるので厚遇されていたようですが、当時の治療事情を考えると、命がけの勤めであったことがうかがいしれます。

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